2026/05/10 09:00
一昨日は行政書士会の支部会の総会に行ってきました。そこで、ある行政書士の先生からこんな話を聞きました。彼は生活困窮者の生活支援の手続きをサポートする仕事をしています。そんな彼の元に一人の青年が連れられてきました。彼は生活に困窮し生活保護を受けたいのですが、市役所に行くことができないとのこと。市役所の窓口に行くと、体が震え、言葉が出ないとのこと。話を聞くと、とても大変な人生を歩んでいる人のようで、さらに、彼が勇気を奮って市役所に行った時の職員の対応で、彼はすっかり怖気付いてしまったらしいです。
私自身、この石鹸販売の仕事を始める前は市役所の福祉課で生活保護の担当をしていました。生活保護を希望する人が窓口に来ると、まずはその人の状況を聞き、生活保護の取得基準表に照らして杓子定規に応答します。65歳未満の人なら「まずは仕事を頑張ってみてはどうか」と打診します。「それでも受給したい」と言っても「生活保護は最後の手段、受給する前に親兄弟からの援助を考えて欲しい」と応えます。それは規定によって決められているものですが、事情を知らない相手は、それを聞くと「自分は拒絶された」と感じてしまうようです。
生活保護は、仕事をしながらでも、生活するのにたりないお金だけ受給できます。だから、若い人なら “どういった理由で生活できるだけのお金が稼げないか” を話し、たりない分を援助して欲しい旨を伝えるか、もし精神的にやられてしまっているようでしたら、そのことを伝えます。
親兄弟の援助に関しては、援助を拒絶したいなら、その旨を伝えます。ただし、犯罪の危険性など特別の事情がない限り、親兄弟から叔父、叔母まで、生活援助できないかを打診する手紙が行くことを告げられます。これがかなり精神的なストレスになります。親兄弟でも嫌なのに、叔父や叔母まで手紙が行ってしまうのですから、その気持ちは分かります。
これらの説明をすると、窓口に来た人が感じる感覚は、仕事をしないかの打診は “生活保護を門前払いされている” と感じ、親兄弟の支援は “恥ずかしくてできない” と感じるようです。そして、たいてい、市役所の職員は決まったことを伝えるだけ、温かみはありません。
彼のように心に傷を抱えた人がこの対応に接すれば、「私は拒絶された。もうここには行けない」と感じてしまうのも仕方ないでしょう。
結局、この青年は、再度、市役所の窓口に行くことはできず、行政書士の先生に泣きつき、行政書士の先生の車の中で手続きをし、無事、生活保護を受給できたとのことでした。行政書士の先生は「なぜ、市役所の窓口は、心に傷を負った人の気持ちに寄り添えないのか」と立腹されていました。
私も生活保護を担当していましたが、実際、保護を受ける方の多くは、見た目は健康そうでも、彼のように心に深い傷を負い、精神的にとても疲れた人が多いです。行政書士の先生がおっしゃる通り、なぜ、相手の気持ちに寄り添えないのか?それは問題だと思います。でも、市としても、それは業務の一環であり、法律に従って伝えるべきことは伝え、皆、一律、同じ対応をしなければなりません。
でも、本当の問題は、彼が働けないほど深い心の傷を負ってしまっていること。結局、彼が市役所の窓口で過剰に恐怖を感じてしまったのも、市役所の対応だけではなく、それまでに積み上げてきた人生の負の経験があります。
今回の総会、私は新規入会者として出席しなければならなかったので、出席しました。でも、そうでなければ、私は出席しなかったでしょう。ましてやその後の懇親会には参加しません。私は大人数の懇親会が苦手です。本当、気疲れしてしまいました。疲れが抜けず、昨日は一日、仕事になりませんでした。
心の傷は回復するまでゆっくりして過ごすしかありません。無理をすれば、心が壊れてしまいます。そして一度、心が壊れれば、取り返しのつかないことになります。これはその人が弱いからそうなるのではありません。誰でも生まれた時から得意なことと不得意なことがあり、上手にできることと上手にできないことがあります。そして世間は競争社会です。競争で勝てば、自信を得、より強くなり、競争に負ければ、自信を失い、さらに弱くなります。どんなに苦労しても、競争に勝たなければ評価されません。
大事なことは、無理せず、自分が勝てる場所で戦うことです。成功の母は失敗ではありません。成功の母は成功であり、勝てばますます強くなり、精神も安定します。負ければますます弱くなり、精神は崩壊します。負けることは、最初からやらないで済むようにするか、最低限にし、頑張りすぎないことが大事です。
私は、今、中華人民共和国建国の父、毛沢東氏が書いた「毛沢東語録」を読んでいます。この本は、10億冊近い発行部数を誇り、全世界に多大な影響を及ぼした本です。毛沢東氏は、伝統文化を否定し、新しい社会を築いた人とのイメージがありますが、実際、この本を読んで驚いたのは、毛沢東氏の古典的教養の深さです。至る所に、中国古典の知識が散りばめられています。
そんな毛沢東氏は江戸時代の名君と言われる上杉鷹山公に似た思想の持ち主だったようです。「為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」上杉鷹山公はケチを極める政策と人民を根性で働かせる政策により米沢藩の財政を救ったらしいですが、毛沢東氏も似たような政策を実施し、こちらは大失敗します。失敗のレベルが死者4,000万人(当時の日本の全人口の半分)で国が傾いたのですから、まさに極悪人です。
「根性がたらないから目標数が生産できないのだ」いえいえ、あなたが経済法則を無視し、人間の本性を暴力で改変できると信じたからそうなったんですよ。ノルマが達成できなければ、怠慢職員とのレッテルを貼られ、社会的に抹殺されてしまう。場合によっては本当に命すら奪われる。そんな社会で、無茶苦茶なノルマを設定されれば、誰もが本当のことを報告しなくなります。そうやって上には嘘の報告ばかり、非科学的な農法で生産性は落ち込み、結果、上には豊作と報告されても、実際は大飢饉。4,000万人が飢え死にしました。
毛沢東氏と上杉鷹山公との違いは経済法則を無視したかそれに従ったかの違いです。根性で人間の本性をなんとかできると考えたところは同じです。ただ同じ根性論でも毛沢東氏の根性論は、人それぞれの能力の違いを無視しその人の能力の限界を超えたものを求めたのに対し、上杉鷹山公の根性論は、我慢することと真面目に働くことという、苦痛を伴うものの誰でも実現可能な範囲で留めたことです。
毛沢東語録を読んで感化された社長は少ないでしょうが、毛沢東氏のような社長は日本にもたくさんいます。従業員が殺されないのは、日本の司法制度があるから。従業員が飢え死にしないのは、日本には福祉があるからです。
5月は5月病といって、新しい環境に耐えきれず、心を病んでしまう人が続出する時期です。「根性がない」とか、「忍耐がない」とか、「逃げても同じだ」とか、いろいろ、言われますが、本当はただ自分に合っていないだけかもしれません。上杉鷹山公のように頑張ればできることで根性論をあおるのならまだしも、毛沢東氏のように、できないことを従業員のやる気の問題にしているかもしれません。
ここで紹介した青年は特別ではありません。花粉症が誰でも一定量の花粉を吸い続けることで発症するように、心もある一定量のストレスを受け続けると変質してしまいます。誰でも無理をすれば心が壊れ、生活保護を受けなければならなくなります。
今ある環境がどうしてもつらいなら、他者の目から見ても明らかにわかるような異変が現れてしまっているなら、根性の問題とせず、今ある環境を変えることも考えてみましょう。私自身、この業界に飛び出す時には勇気がいりました。でも、はじめてみればなんとかなるものです。
今月から私の事業についての思い出せる限りでnoteに記録しています。「今の環境が自分に合っていない。環境を変えたい」そんなことから事業を起こしたい方がいらっしゃれば、参考にはなると思います。物販は在庫を抱えるビジネスですが、Amazonで販売状況を調べ、売れている商品でしたら、最悪、安売りすれば、在庫は解消できます。挑戦してみるのもおもしろいです。
私自身、市役所というそれなりに給料がもらえ、それなりにゆっくりできる仕事をしていましたが、それを辞め、今の仕事を始めたことは後悔していません。今の方が、自分の気質に合ってますし、毎日新しいことの連続で楽しいです。そして肝心の給料も、まあ、それなりにもらっています。
会社が極端な根性論を信奉している組織なら、迷わず辞表を提出することをおすすめします。
こちらのnoteアカウントで記録しています。
毎月5・10・15・20・25・30日に更新していく予定です。
輸入石鹸|店長の独り言

